武田信広とその子女の名誉回復
武田信広とその子女の名誉回復
歴史研究において、公的な記録だけがすべてを語るわけではありません。『寛政重修諸家譜』の欠落を理由に、若狭武田氏の系譜を否定する声がありますが、そこには記録の焼失という明確な背景があります。直系の寺に伝わる系譜が示す武田信賢からの繋がりと、後世の都合のいいこじつけに対する反論をここに記します。
武田信広の息子であり、武田姓を名乗る三人の兄弟は、足利義澄から土地を与えられて豊前(行橋市)へと下向しました。信広の嫡男である武田右京進信治の妻は、城井鎮房の嫡女である鶴姫です。信治は武士としての生活に見切りをつけて出家したため、目立った事績は残されていません。また、長弟の信達は医者となり、次弟の信明が家督を継ぎました。武田右京進信治の直系が関わる寺にある系譜には、武田信賢からの血統が記されています。しかし、松前家の記録が焼失したために『寛政重修諸家譜』では欠落してしまいました。「満11歳の武田信賢に子がいるはずがない」という否定論がありますが、それは単なるこじつけにすぎません。
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